Daisukeyの日記

安井大輔の日記です。

ヒトラー〜最期の十二日間〜

という映画を観てきた。

 13時20分からのを観ようと思って12時40分くらい渋谷のシネライズにいったら、ものすごい人が並んでいて今から並んでも立ち見と言われた。それはイヤだったので、すぐ近くにある献血ルームに行って時間をつぶしてから次の回のに行った。前のほうの真ん中に座りたいので一時間以上並んだ。文庫を持っていっていて本当に良かった。

 そういえば、映画館につながるスペイン坂にはナチスの軍服コスプレをしている人が一人で歩いていた。日本のナチは本国ドイツでのネオナチみたいな思想性は低く、ファッションの一つとしてカリカチュアライズされたものが多いという事を調べた本を読んだことがあったけど、そのおじさん(グラサンかけていたし、よく観察したわけではないので実際の年齢は不明)はどういうつもりだったんだろう。

 映画のほうは、タブー視されがちなナチスというのと"es"という素晴らしくいやな映画を作ったヒルシュピーゲル監督の作品ということでそんなに人気ないだろ、という予想を裏切られてめちゃくちゃ混んでいた。ヒトラーとかナチスに興味ある人って案外多いのかな? それともシネライズでしかやってないからかな?

 中身はタイトル通り、ヒトラー個人の最期の日々をメインに据えて、陥落直前のベルリンのさまざまな人間模様とからめて描いている。

 僕が最初に思った、というか映画の観客が思い描けるように作られているな、と感じたことは、20世紀最大の怪物とも言われる独裁者も、近くで見たかぎりでは、意外と普通の、つまり近くにいてほしくはないけど、いなくはなさそうではあるほどのおかしな人だったということだ。誰一人信用しておらず、孤独でかわいそうだと同情するのも分かる。それは、彼と周りが行ってきたさまざまなエゲツナイ行為がなかったならば、ということでのみ担保されるものではあるのだけど。

 ヒトラーはやはり基地外で、それもドストエフスキーの『白痴』みたいないいものではなくて、そうとう悪いキチガイなんだけどそれ以上に彼とその部下たちに好き勝手を許した状況というものもやっぱりおかしかったんじゃないのか、といえる。罪は必ずしも個人のみに帰せられるわけではなく、環境にも帰せられるべきだろう。

 考えるべきなのは、犯罪の原因を彼ら自身の問題とするのではなく、自分たち自身にも自身の社会全体にも共通すべきものとして考えることではないのか? 僕は、彼のあの狂気は多かれ少なかれ誰の中にもあるし、それが外に現れ現実に影響を与えるか否かは自分と周りの状況次第でしかない、という考えをもっていて、実際それほどはずれてはないと思っている。世界の問題を自身の問題として考えること。それが大事だと思う。

 ドキュメンタリータッチの良くできた映画だと思う。けれど「ここで明らかにされる衝撃の事実!」なんてものは特になかった。話は昔読んだ水木しげるの「ヒトラー」やNHKでやっていた「ヒットラーの側近たち」でも明らかにされていたことであって、僕自身にとってそれほど目新しいことはなかった。これしきのことで賛否両論噴出だなんて、ドイツではいまだにトラウマが大きいんだな、と思った。日本も同じことは言えるけどね。

 右手を45度上げるおなじみの敬礼のときの掛け声は僕にとって「ハイルヒトラー」なんだけど、映画にその科白はなく、代わりに「ハイルマイフューラー(総統万歳)」ばかりだった。これは何でかと考えるに、途中でエヴァと秘書が交わす
「(ヒトラーは)私たちにはとてもお優しいのに、時にとても冷酷にみえます」
「「総統」のときね」
という会話にも現れているように、私人としてヒトラーと政治家としてのヒトラーとのコントラストを明示的にする演出だろう、多分。

 ゲッペルスとその奥さん役の俳優もいい狂いっぷりだった。「非ナチスの時代に子供を育てたくない」といって6人いた子供を毒殺してしまうんだけど、そこで流す涙が「この二人は悲劇に酔ってやがるな、大事なのは子供とかよりも自分達の信念なんだな」、と思わせるだけのいい演技だった。

 エヴァブラウンは「政治の分からない女」と呼ばれ男に嫌われそうな、という意味で「女らしい」女という印象を受けた。確かにファーストレディーには見えないし、似合わないなとは思った。
 
 この映画はヒトラーの個人秘書だったトラウドル・ユンゲという女性の手記を元に作られた映画なのだけれど、ラストに年取っておばあちゃんになっている彼女が画面に出てきて
ニュルンベルク裁判でナチスの犯罪が明らかになるにつれ、それをおぞましく思ってはいたけれども、私は知らなかったので、関係ないと思い安心していました。だが、のちに知らないということは罪だと思うようになりました。目を見開いていれば、気づけたはずでした。知ろうと努力するべきでした」
と反省していた。それ聞いて、一緒に行ってた友人は即座に「そいつは無理だろ−」という感想をもらしていた。それをいっちゃあおしめえよ、とも思うけどその言葉を否定する論理を提示できる確たる自信は僕にもまだない。それを完璧に出せるのも信念という一つの狂信からではないかと疑ってしまうのが、ちょっぴり居心地が悪く、すこし自分が悲しい。 

  • 以下参照

(映画のHP)
http://www.hitler-movie.jp/

(水木しげるの『劇画ヒットラー』:あの水墨画みたいな絵にかかると、ヒトラーナチス幹部もみな貧相な味わいを帯びて見えてくるから不思議)

劇画ヒットラー

劇画ヒットラー