マンボウ

リージョンプラザ

 日経新聞で連載されている私の履歴書。今月は北杜夫。昔と変わらずマンボウ節が快調。
 この連載、僕はけっこう好きでよく読んでいるのだけど人が変わっても文体が似たり寄ったり(特に日本語圏外の人の場合、かなり似ている気がする)で、記者が書いているのじゃないか、と思っていたのだけど、さすがに作家はそんなことしないかな。*1
 小学校高学年か中学に入ったころに祖父の家にあったボロボロの『どくとるマンボウ航海記』を読んだのが僕の北杜夫遍歴の始まりで、中学時代市の図書館で『マンボウ』シリーズや『大日本帝国スーパーマン』『怪盗ジバコ』『さびしい王様』などを読み耽っていた記憶があるので、付き合いはけっこう長いほうになる。『幽霊』や『夜と霧の隅で』も手にとったような気がするが、幼かったからかあまり理解したとは言えない。飄々としたユーモアというものの後ろにはどうしようもなく暗いものが漂っていることを直感的に嗅ぎ取っていただけなように思える。

 当時は午前にソフトボールやテニスの部活をして、帰ってきて家の玄関で飯を掻きこみ、自転車や買い物に出かける父の車に便乗し(県庁所在地とはいえ津は田舎だったので車でないと買出しにも行けない)市の中心部にあるけっこう立派なリージョンプラザという図書館に行って閉館間で篭って追い出された後は、外の吹き抜けのホールで弟たちと遊びながら父に迎えに来てもらうというのが、土日の過ごし方だった。
 一人5冊まで借りられる貸し出しカードを家族全員の分5枚と最高25冊の本を「これお願いします」と言ってドカッとカウンターに積み上げて、また大きな紙袋にどかどか詰め込んでえっちらおっちら帰っていく中学生を司書の人たちはどのような思いで眺めていたのだろう? 「まあ読書熱心。感心な子供ね」なんていう好意的な目ではなかったかもしれない。何しろこっちは紺に緋の「西橋内」なんて中学校名が入っているような上下ジャージ姿の薄汚い髪の毛ぐしゃぐしゃのガキンチョだったもんな。おまけに父も僕もけっこう遅滞するたちだったので、今思えば図書側にしてみれば、僕らは確実にブラックリスト入りだったことだろう。

 「汚い子供」が嫌がられたようなことはなかったように記憶しているし、面と向かってそのようなことを言われたり悪感情をぶつけられたりした覚えはない。これは僕の幼い自己への想像が実際以上に汚れているように考えてしまっているだけのことで、現実そんなに汚いなりではなかったのかもしれない。
 だとしても、僕の図書館に対する記憶をたどってもこんな風にいいことばかりがよくでてくるのは、僕の幼少期が大体幸福の記憶と共にある(あったではなく)証拠だといえるのかもしれない、と思う。これは人間の記憶が都合の悪いことは忘れるように出来ているのだ、と言うこともできるし、そのとおりだということも僕は分かってはいるのだけれど、自分の子供の頃を考えるときに、リージョンの三角屋根と中の本棚とその配置までは分かるとしてもその匂いまで浮かんでくるのにはよっぽど強い思いがなければ難しいことで、それは生半可な「昔のよかったこと」には不可能なことのように思える。

 幸福な記憶と書いたけれど、ここでの幸福とは絶対的な幸福などというわけでは勿論なくて、もっと「個人的かつ普遍的」なものだ。つまり個人的に僕はこのように考えているけれど、それは他の人も同じように無意識的・有意識的に行っていても違和感がない、いわば普遍的な<私>の思考が重なり合うことによって感じられる充実感ということだ。言い換えると自己からの想起が増え記憶のリアリティが増すことによって生きることの厚みがでてくる*2という意味になる。

*1:そういえば仲代達矢も亡くなった奥さんのことが主で本人しか書けなさそうな話だった。となると「書いている人が」じゃなくて、よく出てくる経営者の文章の書き方やその内容が似たり寄ったりな印象を与える、ということなのかも知れない。それとも単純にこちらが色眼鏡で読んでいるからか?

*2:それはひょっとすると人によっては不幸と呼ぶものかもしれない