都市を歩く


 夏休みが近づきつつあるが、今年も多くの人々が様々な都市を闊歩するだろう。その時彼らは旅人としてその都市を歩くことになるのだが、しかしその様態と速度はもちろん多種多様である。例えば、パリ三泊四日パッケージツアーを考えてみると、それはごく限られた時間の中で、重要なポイントをバスや車でつなぎひたすら駆け抜けて行くものであり、この場合、たしかに地に足をつけてその土地を歩いてはいても、本当にその都市を「歩いて」いるのかといえば、むしろ「歩かない」と言う方がしっくりくるのではないだろうか。
 一般に都市を旅することとは、地下鉄やバスなどを使うことがあっても、基本的に、その都市を歩くことがその中心となる。とはいえ、発達した旅行産業が作り出す様々なガイドブックが、その旅の形をステレオタイプなものにしてしまった。旅立つ前に日本でガイドブックや地図を見てパリに行ったとすれば、おそらく既に知識として得た情報を確認するために観光スポットを巡る旅となり、たとえそれがどんなに時間をもてあまし、亀を連れて全行程を歩いても、根本的にパッケージされたものと変わらない性質を持つ。
 そんな現代の旅の性質は、現代の都市が、一時的にその都市へ流れてくる外部の観光客にとっては、点と線のみで描かれた虫喰い状態の地図としてしかあらわれないということであり、結果、凱旋門の上からパリの街並みを見たとしても、それは単にパノラマ的な商品化された風景でしかなく、決して都市そのものの姿としてあらわれるわけではない。
 都市を歩く
 それでは単なる観光でなく、都市を歩くとは一体どうあるべきなのか?
 ベンヤミン描くところの遊歩者(フラニール)は群集の間を浮遊し、大都市と市民生活のどちらにもいて、どちらにも入れない両義的な役割を演じている。近森高明『ベンヤミンの迷宮都市』(世界思想社)に表わされる都市は、精神分析を介して「観察者」と「陶酔者」のはざまに不安で底知れない像を浮かび上がらせる。遊歩者は街路に迷い、陶酔するとき、ガス灯の光や、娼婦のイメージに誘われるように、抑圧された都市が、無気味な「迷宮」として回帰する。都市を歩くことは本来、ガイドに従ったコースを回ることなどではなく無目的に迷い歩くことであったのだ。

ベンヤミンの迷宮都市―都市のモダニティと陶酔経験

ベンヤミンの迷宮都市―都市のモダニティと陶酔経験

 都市を読む
 人文地理学者、段義孚(イーフー・トゥアン)は、諸民族の空間認識と世界像に焦点を当てて都市と都市を歩くことを文化人類学的に考察する。場所愛を意味する『トポフィリア』(ちくま学芸文庫)にて彼は、都市化に伴う人々の意識変化を環境と生活様式に即して読み解いていく。ヨーロッパでは一九世紀中頃まで大部分の人々の生活は歩くことに基づいていた。しかし乗合馬車、市街電車、そしてバスと自家用車へと移動手段が変わり、街路は実態的、認識的にも貧しいものとなっていった。その延長に現在の観光のまなざしがあることは言うまでもない。
トポフィリア―人間と環境 (ちくま学芸文庫)

トポフィリア―人間と環境 (ちくま学芸文庫)

 都市を読み替える
 では今や、歩くことは車に取って代わられる無益な営みに過ぎないのだろうか。しかし、五月革命を経たフランスの歴史家ミシェル・ド・セルトーは歩くことに民衆の日常的抵抗の可能性をみる。『日常的実践のポイエティーク』(国文社)において彼は、歩くことは三重の機能を果たすと言う。すなわち歩行は都市の地理を理解させ(現存性)、固有の場所を不安定な空間に変え(不連続性)、異なる立場の人々との遭遇を生み出す(交話性)のである。そして歩くことが、高層ビルから下界をまなざすものたちの戦略によって支配される都市空間を、まなざされる人々が自らのものとして読み替える「戦術」となると説く。
日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)

日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)

 街路が歩く人を昔へと運び去り、また歩くことが時間的にも空間的にも隔たったものを現在に侵入せしめる。その結果、地面から人々の足どりとともに物語(イストワール)が始まる。歩く足どりの戯れは一人一人が空間細工を作り出す営みとして都市を取り戻す行為なのである。
 ストア派は歩くことを重視した。古代ギリシャにおいてその場は建物の廊下であったが、都市の廊下(パサージュ)こそが現代のストア派にはふさわしいのかもしれない。