視覚を考える―イメージと文化の問題


 西洋思想において視覚は聴覚と並び、対象が離れていても成立するため他の感覚よりも優れたものとされこれらに関わる作品こそが芸術とされてきました。このような視覚中心主義は、触覚などの身体的な感覚を失わせてきたと批判されることも多いのですが、そもそも世界を認識する私たちの視覚はどこまで確実なものなのでしょうか。ここではヴィジュアルイメージの持つ力とその限界について考えてみましょう。
 ヴィジュアルはわかりやすい?
 例えば、「一見に如かず」というように視覚は直接経験と等置され高い信頼を得ています。確かに『図解雑学シリーズ』(ナツメ社)のようにヴィジュアルを介した方が効率のよいことは多いでしょう。しかしこれらが入門書以上のものになりにくいことから想像できるように、そこから先の理解にはなかなか進みにくい。また先日の都議会で「非実在青少年」規制の議論が白熱するのもイメージ喚起の力あってのことですが、セックスシーンの含まれる「有害」な作品を日常的に消費する人々がそれらをどれだけ注意して読みとっていたのかは不明です。同じ図示から異なる意図が伝わってしまった経験は誰にでもあるでしょう。このような解釈の多義性を考えるとヴィジュアルは実は「わかりづらい」ものでもあります。
 また写真が本文やキャプションによってその意味が確定されるように、通常ヴィジュアルは言語的線形構造の流れにはまることで「わかる」ものとされます。同時にそのイメージがあてはめられる言葉の枠組みによって恣意的に変形させられる可能性があることでもあります。新藤健一『新版写真のワナ』(情報センター出版局)ではヤラセ写真を事例に私たちのイメージがいかに操作されやすいものであるかを教えてくれます。(有名な原爆のキノコ雲写真が広島ではなく長崎のものであることなど知っていましたか?)このようにヴィジュアル表現は言語的コントロール下でのみ意味をもつ特性を持ちますが、それゆえに論証能力を欠くものとされ学術資料としては一段低く見られてきました。しかしその読解に際して言語―論理的理解ほどの修練を必要としないがゆえに広く受け入れられているというのが現状です。

新版写真のワナ

新版写真のワナ

 ヴィジュアル文化と社会
 さらに絵画や写真、マンガや映画のような芸術が「わかる」ようになるとは、背後に隠された映画の歴史や絵画を語る言語といった制度を受容することです。視覚芸術を感受できるようになることは文化と社会のヒエラルキー構造を再生産することになります。こうした表現とその背後にある中身の対応関係が歴史的に形成された社会的なお約束であり、絶対的なものではないことを多くの学者たちが明らかにしてきました。視覚の支配をめぐる思想の挑戦は、監視社会論として『監獄の誕生』(新潮社)のミシェル・フーコー、美術=文化装置論として『美術愛好』(木鐸社)のピエール・ブルデュー、そして写真広告におけるジェンダー論として「ジェンダー広告」(『ゴフマン世界の再構成』(世界思想社)参照)のゴフマンなど様々な方向に展開されています。
監獄の誕生―監視と処罰

監獄の誕生―監視と処罰

美術愛好―ヨーロッパの美術館と観衆

美術愛好―ヨーロッパの美術館と観衆

ゴフマン世界の再構成―共在の技法と秩序 (Sekaishiso seminar)

ゴフマン世界の再構成―共在の技法と秩序 (Sekaishiso seminar)

Gender Advertisements

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 このような視覚文化をめぐる研究は現在の人文社会科学の世界では、カルチュラル・スタディーズという分野でよく扱われています。もしこのような議論に関心がありましたら、入門書としてはジョン・A・ウォーカーとサラ・チャップリンの『ヴィジュアル・カルチャー入門』(晃洋書房)が最適です。理論的アプローチでは、ハル・フォスター編『視覚論』(平凡社ライブラリー)などが参考になります。またStuart Hallの『Representation Cultural Representations and Signifying Practices』(SAGE Publications)は英書ですが、一・二回生向けの教科書として書かれたものであり、多くの図版とともに写真集、博物館、映画、広告、テレビドラマなど視覚表象文化の研究が手際よくまとめられておりおすすめです。
ヴィジュアル・カルチャー入門―美術史を超えるための方法論

ヴィジュアル・カルチャー入門―美術史を超えるための方法論

視覚論 (平凡社ライブラリー)

視覚論 (平凡社ライブラリー)

Representation: Cultural Representations and Signifying Practices (Culture, Media and Identities series)

Representation: Cultural Representations and Signifying Practices (Culture, Media and Identities series)

 作品鑑賞だけでなく時に「見ること」自体を考え直すのはいかがでしょう。