「遊び」について書く、すなわち考えることは簡単なようで案外難しい。そもそも「遊び」の定義は可能なのか。一般に、楽しみ、娯楽、休養、リラックス、ストレス解消などの目的で生物がする行動の総称とされるが、「食べる」や「寝る」などと違って、その目的が見えにくい。だが遊びはつかみどころがない対象であるにも関わらず、見ればこれは「遊び」だと分かってしまう不思議な明瞭さもある。
遊びの普遍論
オランダの歴史家ホイジンガは『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』(中公文庫)において、人間の活動のあらゆる側面に遊びの要素があり、文化に先立って遊びが存在したという。しかし、同時に従来の分析的なプローチも理論的解釈も役立たないともいう。これは研究としては遊びの「おもしろさ」がどこにあるかを決定できないという判断からのこと。老大家が「おもしろさ」の記述に向かっていったというのはおもしろいが、ことほどさようにアカデミズムと遊びは折り合いが悪い。
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この系譜にはカイヨワ、ベイトソン、チクセントミハイ、ベンヤミン、アンリオなどがいる。
遊びの個別文化論
一方で、遊び論にはもう一つの系譜がある。遊びの地域性、個別性に注目し、その差異を記述・分析しようとする立場である。これは遊びの普遍論に対して、個別文化論と呼べる。この系譜には、個別の要素を当該社会の文脈と関連付けて理解しようとする文化人類学者や民俗学者が多い。
たとえば、寒川恒夫の『遊びの歴史民族学』(昭和出版)では、ラオスにおけるボートレースが王の統治を確認する儀礼としての機能をもつと理解するなど、いわば各地の遊びがそれぞれの地域の社会集団の形成と統合に役立つものとして描かれている。特定の地域・集団に長期間関わり、言語と慣習を身につけながら生活のなかで遊びをみるという姿勢が、個別社会における他の文化要素との関連で理解しようとする認識につながるのは自然なことだろう。
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これら二つの遊び観はどちらも遊びの一面を言い当てている。人類に普遍的でありながら、同時に個別文化依存的でもある遊びは「言語」となぞらえることもできよう。ただし、言葉をもたない動物にも遊びをするものは多い。
亀井伸孝編『遊びの人類学ことはじめ』(昭和堂)は、ヒトとサルの遊びを同じまなざしからとらえようとする。本書に収められたニホンザルやチンパンジーのコドモの遊びと、アフリカの狩猟採集民や日本の野外体験教室の子供たちの遊びを比べると、意外と似通っている部分があることに気づかされる。主人公が小学四年生の『団地ともお』(小学館)や五歳児の『よつばと!』(アスキー・メディアワークス)など子供の日常世界を舞台にした作品では、主人公たちの発案する数々の遊びの豊かさにうならされる。だが、雪球運びや馬跳びなど自分たちの暮らす環境に応じたサルたちの創造性も相当なものだ。ヒト・サルの区別なく子どもたちが遊びにおける創意工夫の天才であることも、種の違いを超えて見られる能力なのかもしれない。
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