百年前の革命 メキシコと中国で


 革命という言葉は、古代中国の易経に見え、天命が改まり王統が交替することを易姓革命といった。今日この語は、社会的・政治的意味での言葉の訳語として用いられる。
 近代的な革命の概念、すなわち社会の全面的変革による突然の新しい歴史過程の展開という意味は、ハンナ・アレントが『革命について』(ちくま学芸文庫)で考察する一八世紀末の二つの大革命、アメリカ独立革命フランス革命によってもたらされた。注目すべきは、フランス革命においてレボリューションという言葉に含意されていた「回転」とともに「不可抗力性」の概念が政治的に転義されて一方的に強調されるようになったことである。そして革命は〈政治権力の根本的変革を中心とする社会の大変動〉として今日的意味に定義され、同一支配関係内部における権力担当者やグループが交替するクーデタなどと区別される存在となったのだ。

革命について (ちくま学芸文庫)

革命について (ちくま学芸文庫)

 この定義を前提として、革命に関する研究は、革命がなぜおこるかというその発生論や原因論、革命の政治過程の分析、革命の経済的・政治的・社会的帰結や意義の評価などに分節化されている。
 そのなかでも政治学からアプローチする中野実の『革命 現代政治学叢書4』(東京大学出版会)は、政治変動や政治発展の一つの形式として革命を位置付け、いつの時代も避けられない政治における暴力の意味を鋭く考察している。本書では、近現代の革命を対立、標的、目標、動因、象徴、指導、主体、手段、正当化、反作用の要素からみて体系的に比較分析し、政治現象としての革命の普遍的特徴を抽出しようとする。要素比較によって見えてくるのは、各革命の特殊性よりも諸革命の共通性や普遍性であるという。
革命 (現代政治学叢書 4)

革命 (現代政治学叢書 4)

 百年前の革命
 今から百年前の一九一一年はメキシコと中国にとって革命の年だった。本書にならって比較の観点から、両革命をみてみよう。
 国本伊代『メキシコ革命』(山川出版社)が分かりやすくまとめているように、独裁体制の打破を目指す政治運動として始まったメキシコ革命は、その過程で農民と労働者を巻き込み、民族主義的社会革命へと変容した。マデロ、ビリャ、サパタら英雄達の活躍で独裁は倒されたものの、反革命や革命勢力同士の闘争が繰り返され大量の国民の血が流される内乱状態が長く続いた。
メキシコ革命 (世界史リブレット)

メキシコ革命 (世界史リブレット)

 孫文、宋教仁らの指導した辛亥革命清朝を打倒して中華民国を樹立した。列強利権の交錯するなかでの革命であっただけにその影響は全世界におよび,とりわけ日本の反応は敏感だった。アジア発の共和制国家の誕生はのちの大正デモクラシーを用意する一因となった。しかし革命は逆に袁世凱の独裁を生み出してしまう。野沢豊『辛亥革命』(岩波新書)では、列強諸国からの侵略を受け、半植民地に置かれた中国内外の社会状況が与えた革命の性格を分析する。
辛亥革命 (岩波新書)

辛亥革命 (岩波新書)

 革命が政治権力をめぐる闘争の一形態であるかぎり、闘争が明示的な外国敵や国内的との闘争だけでなく、革命党派間、革命党派内、指導者間とのせりあいでもある。革命主体間の闘争は政治革命勝利によって止揚されるのではなく、革命後の過程へと連続していくことは、いつの時代にも共通に見られる。
 そして権力が人的・文化的多数による少数への抑圧・排除を含むならば、革命へのアプローチには、一方で革命から排除された側、革命と距離を取った側から革命をとらえる視点が強調されてもいいだろう。
 この領野に文学が果たす役割は大きい。例えば魯迅は革命では人々も郷村社会の構造もなにひとつ変わっていないことを指摘し、革命のもたらした希望と幻滅にまっすぐ向き合う。『阿Q正伝・狂人日記』や『評論集』(ともに岩波文庫)は、唾棄すべき愚かな民衆を描くことで、文学からの革命を起こす。またメキシコでも《明治四五年、ぼくは二十歳だった。それがいったいどのような年であったか誰にも語らせまい。》印象的な一文から始まる矢作俊彦『悲劇週間』(文藝春秋)のように、後に詩人となるサムライの息子、堀口大學の目から見たマデロと革命を描く。
阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

魯迅評論集 (岩波文庫)

魯迅評論集 (岩波文庫)

悲劇週間

悲劇週間

 ・・・・・・そして百年。北アフリカ、中東と世界では今も各地で革命が続いている。