都市社会学の眺望

 古くから都市は存在していたが、都市部で地縁や血縁を共有しない人々が共存するのが常態になったのは、人類の歴史からみれば比較的新しいことだ。
 都市をめぐる研究は数多くあるが、今回は社会学における都市論を紹介しよう。都市社会学は都市を単なる建築物の集積としてみるのではない。都市における人々の生活実態を分析、解釈する学問だ。

 古典的研究
 一九世紀末ドイツの社会学者のジンメルは「大都市と精神生活」(『ジンメル・コレクション』(ちくま学芸文庫)所収)で、すぐ近くに多くの人間がいるのにも関わらず疎遠な人間関係の都市住民のメンタリティを鋭く読み解いている。刺激があまりに過剰で強力すぎる大都市への適応現象として、独特な「倦怠」という無感覚状態が生まれているとした。彼によれば、この無感覚は貨幣経済の論理が人間の精神に浸透した結果である。

ジンメル・コレクション (ちくま学芸文庫)

ジンメル・コレクション (ちくま学芸文庫)

 「ボードレールのいくつかのモチーフについて」(ベンヤミンベンヤミン・コレクション4』(ちくま学芸文庫)所収)ほか欧州の各都市を題材にしたヴァルター・ベンヤミンも、同じく都市における感覚の変容に注目する。群衆の経験を分析するなかで彼は、ポーの作品に現われる通行人たちが、あたかも自動装置に順応させられたかのように、ショックに対する自動的、機械的反応しかできないさまを指摘する。
ベンヤミン・コレクション〈4〉批評の瞬間 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈4〉批評の瞬間 (ちくま学芸文庫)

 彼らは近代都市の経験が人間の神経に及ぼす作用を通じて、都市における人間身体を一種のサイボーグととらえる一方、都市をひとつの「身体空間」として描きだしている。
 彼らの知見はアメリカに渡り、シカゴ大学を中心とした実証的な実地調査に基づくシカゴ学派と呼ばれる学者たちの一連の研究として開花する。ウィリアム・フット・ホワイト『ストリート・コーナー・ソサエティ』(有斐閣)は、イタリア系移民コミュニティに入り込み、スラムとされる空間で生きる人々の生活・行動を生き生きと記録する。
ストリート・コーナーソサエティ

ストリート・コーナーソサエティ

 また日本では、吉見俊哉の『都市のドラマトゥルギー』(河出書房新社)では、盛り場を行政や資本が構築した構築物の上で意図せざる行動として立ち上がるものとして読み解こうとする。都市を演じられる出来事として捉えるまなざしは演劇に関わっていたこともある著者ならではのものだ。
都市のドラマトゥルギー (河出文庫)

都市のドラマトゥルギー (河出文庫)

 新都市社会学
 しかし二一世紀の極度資本主義のもと、都市はかつてのように逍遥する街路や娯楽的な劇場のようにだけとしては現れない。今や都市は攻撃的な排除と隔離の権力空間として機能する権力装置なのだ。マイク・デイビス『要塞都市LA』(青土社)は、水晶にも例えられる天使の舞い降りた街ロサンゼルスを徹底的に内側から映し出す。都市をめぐる権力闘争、住宅地と階級制度、監獄化するセキュリティ、ストリートギャングと警察、宗教、郊外開発などを通して描かれるのは、合理的かつ効率的に階級搾取と差別が推し進められるディストピアの姿だ。

要塞都市LA 増補新版

要塞都市LA 増補新版

 このように現在は、都市を階級やジェンダー、権力などの作用する場としてとらえる新都市社会学の潮流が強い。その一人、サスキア・サッセンの『グローバル・シティ』(筑摩書房)は、都市をグローバルに一体化した経済活動の結節点とみる。ニューヨークやロンドンなどのグローバル都市が、世界経済の管理拠点となり、中枢管理機能を支える金融業などの高度生産者サービス業が集積することを指摘する。一昔前は各国の都市ごとの問題と思われていたホームレスや外国人労働者などの問題は、今や世界経済のダイナミックな変動と直結したものとなっているのだ。
グローバル・シティ―ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む

グローバル・シティ―ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む

 今では都市と社会をめぐる研究は、インナーシティ、エスニック・マイノリティ問題、第三世界の大都市問題など、数多くの都市問題に取り組むようになっている。