左翼にあらざればインテリにあらず、という空気の起源と変遷

革新幻想の戦後史

革新幻想の戦後史

 タイトルは本書の帯の言葉から。第二次世界大戦後の日本はこの標語のような「左派でなければインテリではない」という雰囲気が広く社会に広まっていた。マルクスレーニンを知らないなんて言語道断、保守的な思想の教授は学識に関わらず無能で陋劣にみられがちだった。長年、教育学部で教鞭をとった著者が京大に入学した一九六一年は安保闘争の翌年であり学生運動が盛んな時代で、思想も度胸もなかったがデモには参加した。一方で女子学生の前で「吉本隆明もいいけど、福田恆存はもっといいぞ」と言って、ウヨク(=バカ)扱いされたりもした。京大や東大でこうした「左傾キャンパス文化」がどのように生まれ醸し出されたのかを、学生意識や読書世論調査から明らかにしていくのが本書だ。そこから浮かび上がってくるになるのは、一部の右翼が言うような左翼に牛耳られた単線的な戦後史などではない。さまざまなベクトルの交差と混沌の上に構成された「革新」の雰囲気に満ちた戦後社会の姿だ。
 革新思想は敗戦とそれに伴う丸山眞男をはじめとする知識人たちの悔恨共同体に端を発する。戦争を食い止められなかった自責の念と知識人として将来の日本をつくるという気負いが、岩波書店の雑誌『世界』をよりどころに政治的な発言を強めていく。そしてそれまで左翼の牙城だった共産党の一九五五年の路線転換にともない、彼ら市民派の思潮が支持を集めるようになる。実際のところ雑誌の購読者数で見ると、硬派な『世界』よりも『中央公論』や『文藝春秋』のほうがはるかに読まれていた。だが朝日新聞の論壇時評でもよく肯定的に取り上げられ、国立大学生には広く読まれていたため、キャンパスでのプレゼンスを高めた。
 ただ読者層が本当に革命的であったかは疑わしい。多くの学生は共産党員になるほどの勇気はないが、「良心的ではありたい」という分子であった。こうした、保守でもなく共産党でもない、左派社会党シンパというぬるい進歩的インテリの受け皿になったのが『世界』で、『世界』の進歩的知識人は学生たちにゆるい立ち位置の市民派サヨクという絶好の居場所を提供したのだ。
 しかしながら、当時は知識人が現在とは比べ物にならないほど影響力を持っていた。GHQによって各地に作られた教育学部は進歩的学者の牙城であり(こうした歴史の浅さと啓蒙的イデオロギーゆえに著者は教育学は学問として二流だという)、日本教職員組合日教組)を通じて『世界』族である進歩的教師たちを支配した。本書ではこうした教育をめぐる事件の数々が紹介される。
 たとえば1953年の京都市立旭丘中学校事件。学校の教育方針を巡る保守派と進歩派の教員・父母が対立し、二派に分裂して授業が行われる事態になった。保守派に文部省・京都市が、進歩派に日教組が加担したため深刻化した。校庭には赤旗が掲げられピオネール(ソ連の少年団)や紅衛兵のような生徒行動隊によって学内では怒号や糾弾が飛び交った。こうした事態は京都だけの話ではなく、大小はあれど、同様の事態はその後十何年間、各地で起こっていた。(東京の小学校の例では原武史『滝山コミューン一九七四』(講談社)が詳しい。)
 「進歩的文化人」と対立した福田恆存、『青い山脈』の石坂洋次郎ベ平連代表になった小田実(当初彼は新手の右と思われており、設立者の鶴見俊輔たちは石原慎太郎に代表を頼む予定だった!)……。多彩な知識人の知られざるエピソードが、教育社会学者としての著者の調査も交えて展開される。
 こうした進歩的知識人たちは小熊英二『1968』(新曜社)の時代以降、日本社会の急速な消費社会化とともに消えていく。彼らに引導を渡したのは、保守派の攻撃ではなく、彼ら市民派の鬼子である学生運動ノンセクト・ラジカルであった。この内部の全共闘と、外部における思想インテリから実務専門家へのニーズの変化によって、大学における革新知識人は解体されていくことになったのだ。
 しかし進歩的知識人はまだ滅びてはいない。彼らの姿は現在のテレビのコメンテーターやニュースキャスターに相当するというのだ。言うべき定見を持たず視聴者の空気を読んでコロコロ変わるコメントを繰り出す姿はまさに進歩的知識人だ。知識人と大衆の境目が無くなり、大衆世論とメディアの共謀関係から学問も大学も下流化する一方だという著者の主張は、さすがもとは『諸君!』『正論』の連載だけあると思わされる。だが、大衆化する以前の大学を知るものとしては忸怩たるものもあるのだろうとも感じる。
 インテリがインテリたりえた時代に隔世の感を感じるが、知的刺激も大きい。かつての京大の姿を知るためにも潮木守一『京都帝国大学の挑戦』(講談社学術文庫)などと合わせて勧めたい。

滝山コミューン一九七四

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1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

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1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

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京都帝国大学の挑戦 (講談社学術文庫)

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