貧困をなくすことは可能だ!

貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える

貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える

 本書はインドやアフリカなど発展途上国の貧乏な人たちについての研究書だ。著者たちはこうした貧困問題に取り組んできた開発経済学者である。
 まず「はじめに」で著者たちは長年、援助の現場や理論に登場してきた二つの考え方を提示する。一つは援助は途上国の人々の自主性を奪うだけで基本的に無駄というもので、もう一つは途上国は自主的に開発を行うだけのインフラも教育も何もないのだから、援助はこれらの環境を一気に整えるくらい大きく一括で行うべきというものだ。援助の方針を決める政策も現場レベルでの議論も多かれ少なかれこの二つの発想の枠組みの中で、いかなる援助がいいのか決められていく。どちらの発想も一理ある、けれど一理しかないというのが本書の主張だ。援助は自主性オンリーでもなんでもあげることでもない。援助成功の是非は、人間の持つ弱さやちょっとした勘違い、援助する側の期待とされる側の現実の食い違いにある。それらを一つ一つ見つけていくボトルネックの地道な解消こそが唯一の解決なのだ。

 本書の手法について
 しかも本書が本当にすごいのは、こうした主張を実証的な実験データに基づき、議論を展開しているところにある。現場での精緻な観察が必要だという主張は題目としては納得がいく。でもそれをどうやって他の国・地域の開発プログラムに活用できるレベルまで持っていくのか。そのため本書で用いられているのがランダム化対照試行という手法だ。具体的な援助の良し悪しを検討するにはその施策を実施した場合としなかった場合の結果を比較しないといけない。しかし物理実験や動物実験なら可能なこうした手法は、同じ個人など一人もいない社会を対象にするとなかなか難しい。個体ではなく集団レベルで条件を揃えようというのがこの手法の発想だ。ランダムにA村とB村を選び、片方には介入し片方にはしない。個人でなく村全体でみれば、施策結果を左右する条件分布は同じくらいのはずだから、両者の差は施策がもたらしたものと考えられる。もちろんこの手法は完ぺきなものではないが、従来不可能だった社会科学における対照実験がそれなりに可能になったのは大きな前進だ。実験一つ一つでわかることは小さい。だがこれを一〇年以上続けた成果が積み重ねられ、今までイデオロギーに左右されてきたことがらを強力な実証的裏付けに基づき主張できるようになった結果が本書なのだ。

 本書からの知見
 食糧、医療、教育、家族、マイクロ融資、貯蓄……本書は貧困にかかわる多くのトピックを一章づつ丁寧に論じていく。そこで読者に示される知見はびっくりするようなものばかりだ。
 たとえば、貧困と飢餓の関係について。一般に多くの人が貧困なままな一つの理由は食が足りていないせいだとされている。しかし災害や戦争、飢饉の例は別として、おおむね今日の世界は最低限度の食料は提供できている。とはいえ貧乏の人は飢え死にしそうにはないがガリガリなままで、彼らは摂取カロリー増加よりおいしいものやテレビの方を優先する。なぜか? この問いの答えを豊富な調査結果から導き出す。栄養に対する知識不足も原因の一つだが、それ以上に人々の生活に対する態度にもある。カロリー改善による生産性向上という結果が出るのには時間がかかるため、たくさん食べて強くなるインセンティブが働かない。結果、値段の安さや栄養価よりも美味しさや娯楽に消費するようになるのだ。
 ほかにも「就学率が低いままなのは学校がないからではなく、子供や親が学校に行きたがらない/行かせたくないから。」「マイクロ融資は最底辺の貧困をクリアするのには有効だが、そこからの発展性はない。」などなど意外な話が続く。理論実践の面でも高度でありながら読み物としても実に奇想天外でおもしろい快著だ。一読、驚嘆せしめよ。
 そして最後の「網羅的な結論に代えて」では《貧困を削減する魔法の銃弾はありません。一発ですべて解決の秘法もありません。でも貧乏な人の生活を改善する方法については、まちがいなくいろいろわかっています。》とあるように、空疎な総論では何も解決しない。問題を引き起こしているメカニズムを一つ一つ腑分けしてそれぞれにきちんとした対策を考えるという面倒な各論こそが解決であるという当たり前でありながら見落とされがちな真実のもつ力強さをひしひしと感じさせてくれる。すごく面白い。一読、驚嘆せしめよ。