現代ロシア文学の前線

 『戦争と平和』のトルストイ、『罪と罰』のドストエフスキー、『桜の園』のチェーホフ……多くの人に知られるロシア文学の傑作群。彼らののちロシア革命から百年、ソ連崩壊から二十年以上たつ現代、かの国の文学はどうなっているのか。ベストセラーの新訳『カラマーゾフの兄弟』は読んでも、現代作家についてはソルジェニーツィンあたりで止まっている人も多いのではなかろうか。いま活躍中のロシアの作家からいく人かを紹介しよう。

 日本趣味の探偵 ボリス・アクーニン
 人気作といえばアクーニンによるエラスト・ファンドーリンの冒険シリーズがあげられる。これは一九世紀末を舞台に、モスクワ警察のエラスト・ファンドーリン刑事が陰謀組織やスパイ、誘拐犯などと対決し事件を解決するミステリもの。オリエント急行を意識した『リバイアサン号殺人事件』は豪華客船上での密室殺人の謎を解き、『アキレス将軍暗殺事件』(ともに岩波書店)では露土戦争の英雄の暗殺に立ち向かう。ミステリの古典的定跡とロシア史が絶妙にクロスする痛快活劇だ。なお彼のペンネームは日本語の悪人と無政府主義者バクーニンの名をかけたものであり、日本人作家の研究者、翻訳家としても知られる。特に三島由紀夫など日本人作家も多く含む『自殺の文学史』(作品社)は読み物としても優れ山田風太郎の『人間臨終図巻』(徳間文庫)に匹敵する面白さがある。

リヴァイアサン号殺人事件―ファンドーリンの捜査ファイル

リヴァイアサン号殺人事件―ファンドーリンの捜査ファイル

アキレス将軍暗殺事件 (ファンドーリンの捜査ファイル)

アキレス将軍暗殺事件 (ファンドーリンの捜査ファイル)

自殺の文学史

自殺の文学史

人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)

人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)

 抒情派暗黒神話語り部 ヴィクトル・ペレーヴィン
 そしてペレストロイカ後の文学潮流「ターボ・リアリズム」の代表格としてペレーヴィン。少し実験的な作風で、社会のひずみを荒唐無稽な世界観から浮かび上がらせる。だが決して声高に主張はせずむしろ抒情的なタッチから、ロシアの村上春樹とも称される。伝統的にロシアの文学は現実社会と切り結ぶ役割を果たしてきたが、SF作家の彼も例外ではない。『オモン・ラー』(群像社)は冷戦時代の米ソ宇宙開発を背景に月へ特攻をかける宇宙飛行士の物語。美しいイメージが鏤められた文章で乾いた笑いに満ちた悪夢が展開される。東西の哲学、神秘学、宗教、思想を混合させた奇妙な幻想譚はピンク・フロイドの音楽がよく合う。淡々とした描写のつながりからロシアの抱える底知れなさが見えてしまう。春樹との類似点として日常と地続きの不思議世界がよく言及されるが、むしろその世界の伏流となっている不条理な暴力こそが村上的と思われる。

宇宙飛行士オモン・ラー (群像社ライブラリー)

宇宙飛行士オモン・ラー (群像社ライブラリー)

 怪物 ウラジーミル・ソローキン
 今月話題の本棚でも取り上げたソローキン。抒情的なロシア文学の精髄を踏まえた上で展開される、悪趣味と言ってもよいほどのサディズムとスカトロジーが特徴だ。たとえば『ロマン』(国書刊行会)では、美しいロシアの田園を舞台に描かれてきたドラマが、主人公が(あのラスコーリニコフの)斧を手にした瞬間からスプラッターに急展開する。変幻自在の文体模倣術と激烈な想像力を持ち合わせた、まさに現代ロシア文学のモンスターの称号にふさわしい存在。正直玄人向けで万人には薦め難い。だが想像力の限界と呼ぶもおこがましいほどの圧倒的世界を覗いて見たい猛者はぜひ一読を。

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

 三者バラバラに見える作家たちだが、彼らの作品はすべてロシアの長い文学史の伝統の上に成り立つものであることは間違いない。古典テキストの蓄積を経て飛び立った現代ロシア文学は高く飛翔しつつある。その最前線に行ってみるのも悪くない。