戦争なき世界への本気の考察

勇者ヴォグ・ランバ(1) (アフタヌーンKC)

勇者ヴォグ・ランバ(1) (アフタヌーンKC)

 痛さや悲しみをまったく感じない人間は人間なのだろうか。意識のない生に意味はあるのだろうか。

 Speculative FictionとしてのSF
 ここでも今でもない処。だが今ここにどこか似た世界。化石燃料を知る前に核を知った人類は世界大戦による破滅を防ぐため、恐怖に囚われない理性的な判断を可能にする世界体制を築く。それこそが人々の脳とサーバーを無線接続させて苦痛を断ち、誰もが安定した精神を持って幸せに暮らす「ペインフリー(PF)」体制だった。しかしそれは同時に人が自らの感情を制限し意識をシステムに委ねることだった。死を否定したものが生者ではないように、苦痛を否定したことは幸福を意味しない。体制側の軍人だった主人公ヴォグ・ランバは、人間が人間であることを取り戻すため、一度は分かれた恋人とともに反体制の戦いに身を投じていく……。
 いわゆる哲学的ゾンビと呼ばれる問題を正面から論じ、さらに新しい社会観を展示するところまで踏み込んでいるのが本作品である。人間とは何か、社会とは何かを問いかけ、読者の世界観を揺さぶるハードなSFだ。

 新しい社会観
 PF体制は戦争を回避するために人間がゾンビになることを選んだのだが、あくまで終末戦争を避けるという生命尊重の善意ゆえであり、単に打ち倒せばいいというものではない。ゆえに主人公たちの戦いは単なるゲリラ戦には終わらない。体制を倒すと同時に人間が人間でありながらも戦争のない社会を構築しなければならない。
 物語では人間の意識こそが価値観の衝突である戦争を止める鍵となり、主人公たちはPF体制に代わって、意識の更新を核とした新しい社会を模索する。だがその社会は決してPFの夢見たユートピアディストピアではない。《流動性という無休の戦場を戦い続け、時に実際に死に追いやられ、熟考と葛藤と煩悶の中に戦争は消えてい》く《国家間戦争が細切れになって僕らの生活の前にたちあらわれる世界》なのだ。現在の新自由主義体制と重ねてみると実に示唆的で、凡百の社会科学など吹っ飛ぶ知的スリルに満ちている。

 以上の主要テーマに加え物語は架空世界のギミックに満ちてもいる。圧倒的少数の反体制派のヒロインはロストテクノロジーの超能力「発現」で戦うが、この発現力のためヒロインの妹は異形の竜となってしまう。また脳型人工知能「這脳」が複数存在しクローンで増える。こうした複雑な状況の説明はあえて最低限に抑えられているため一見とっつきにくいが、何度も読み直すことで常に新たな発見が得られるよう深く深く作り込まれている。

 二巻完結とは思えないほど思索もセンスオブワンダーもがっちりと詰まった重厚な作品だ。