ある始まり

 前も書いたが、ぼくは図書館が大好きだった。今だって好きだが、当時とは比べものにならない。図書館=世界そのものだったといってもいい。現在は未知から既知へと移ってしまった余計なリンゴが多すぎて、昔ほどのめりこめるかどうかはわからない。


 その図書館に纏わるエピソードなのだが、ある時期「世界中のありとあらゆる本を読んでやる」といきごんで古今東西の本を網羅するクロニクル読書計画を立てていたことがあった。中学の一、二年のころだったかな。
 かなり熱中していたようで、外国語はまだ読めないからまずは日本のものをということで古事記日本書紀から始まり土佐日記くらいまで国語便覧を眺めつつ構想を膨らましていた。飽きっぽいぼくとしては珍しい。で、ある程度計画の見通しが立ってから悠々市立図書館に乗り込み、古事記を探した。ところが、以前読んでいた学研まんが事典シリーズ『日本一古い本 古事記びっくり物語事典』しか見当たらない。

 原典に当たらねばならぬという歴史学者か古典主義者の言をどうも勘違いして受け取ったらしく、なぜか本物でなければならないと強固に思い込んでいた(県庁所在地とはいえ一地方都市にすぎない町の図書館に原書が保存されているわけないだろう、などという考えには一向に至らなかった。それだけこどものぼくの世間は狭く眼前の世界=図書館は広かった。ついでにお笑い草なことに書き下しではなく変体漢文のものを読むつもりでいた)から、これはどうしたことだろうと訝った。
 受付で「本物はないの?」と聞いた記憶がある。司書もさぞ困ったことだろう。
 ここで司書の人が美人のお姉さんで「ぼく、そういうものはもう少し勉強してからでないと読めないのよ」なんて優しく声をかけてくれていたら、ちょっとした甘酸っぱいドラマのネタにでもなったのだろうが、幸か不幸か当時はそのようなことにまるで興味がなかった。上記のようなやり取りをしたという思い出はあるが、その相手がどのような人だったかはまったく覚えていない。


 それで結局どうしたのか、というとなぜか水滸伝を借りて帰った。定かではないけど中国文学も読書計画リストに入っていたのかもしれない。自分の中でも、同じ昔の本でかつ長いものであればいいやという判断が働いたのか、それとも四大奇書のうち西遊記三国志演義はすでに読んでいたから次に移ろうと思ったのかもしれない。
 司書の人に書庫内から『水滸伝』を数種類探してきてもらい一番分厚くて長そうなものを選んだ。家で読んだらたしか七十回本だった。大体の話は知っていたけど、話で聞くのと読むのはやはり大違い。武松の虎殺しなど御存知百八人の豪傑譚を堪能すると同時に、地名・人名・官職名そのすべてに目まぐるしく展開される漢字の群れにクラクラ酔っていた。


 今にしてみれば、それがこどもの本コーナーから脱皮し大人の書籍コーナーに入り浸る始まりだったといえる。