労働概念 マクロではなく極めてミクロに

 徒然なる事、其ノ一。


 労働自体となれば労働に対する不満も喜びもなくなるのであろう。


 仕事をするのではなく仕事そのものとなること。いや、ここではより純粋な形態としてのlaborを追求するべく労働と称すのが適当だろう。では、労働者ではなく労働であることとは何を意味するのであろうか。それは概念外の存在が概念としての存在に近づくことを可能とする。

 ペンギンは己がペンギンであると認識しているのであろうか。
 労働そのものは自らを労われるべき功績と思うだろうか、それとも厭われるべき苦痛と感じるであろうか。

 おそらくそのどちらでもないのではないのではないか。自らの名すら意識のテーブルにあがることはあるまい。


 もしや、それこそが涅槃と呼ばれる境地かもしれない。




 以上、仕事に没入していたときに体内を流れていたことごとのちょっとした書き置き。


 ぼく自身は「俺は世の中じゃねえから関係ねえ(by『あしたの弱音』)」という人間なので、市場も労働もあくまで独思考の問題だけど、やっぱりマクロに語りたいという人には↓が参考になるかもしれない。

魂の労働―ネオリベラリズムの権力論

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