ヨクアルコト

すぐれた悲劇とは、往々にしてそのもっとも悲劇的な状況においてなお喜劇的様相を呈するものである


ペシミスティックなものの見方とはその胸中に暴発的な哄笑をも含んでいるもの(すなわち自己(事故?)をも他者として笑いの対象として捉える姿勢)こそが端正にてdecentであるという意味においてふさわしいものと言えないだろうか




 延々三時間近く電車に乗って他社*1に赴き結合検査。その途上。


 出張先の主任「すべてのカードに磁気データが書き込まれてないです〜」
 「えぇっ、そんな馬鹿なっ。 それじゃあ今までやってきたことはまったく意味ないじゃないですか!」
 「いや、しかしそういう結果が出てますから」


 (他のメンバと協議しながら)
 「なにがおかしいのかな」
 「磁気云々のところはもともと前のバージョンからあるところで手を加えてないぞ」
 「だったらなんで書かれてないとかいうことになるんだ?」
 「さあ?」
 「困りましたね」
 「ああ、困った」
 「どうしよう」
 「どうしましょう」
 以下、同じような繰り返し。


 数時間後………


 主任(あくまでそっけなく)「ああ、すいません。さっきの磁気データが書き込まれてないって件ですが、カードの反対側で調べてました。ひっくり返してやってみたらオールOKでした」


アーハッハハッハハハ

*1:茨城の地はぼくの心理的距離においてもはや辺境の地に決定した。ハマから日帰りで行くには遠すぎる。ところで、『おたんこナース』で茨城出身の主人公の地元では土葬をおこなうというストーリーがあったはずだが、それはどのへんのはなしなのだろうか。そういった事情を把握している県民がどれほどいるのかわからないが、聞いてみたいところではある。