願望

 楽しいことは気が付いたときにはすべて終わっています。
 あとは長い長い余白が待っているだけです。


 はやく隠居したい。というかとっと余生に入りたい。
 下町で古本屋の店番でもしながら日がな一日を過ごすのも悪くない。「おじいちゃんはもう年だから後はお迎えの来るのを待つだけなんだよ」なんて近所の子供にボソボソと言ったりしてね。
 

 竹林の七賢のような世を厭い忌避するような積極的な否定の志向(思考?嗜好?)はないけど、自分に引きこもり願望がないとは言いがたい。


 前から感じている自分の気持ちという願望を他人のもののように観察してみると、つまりそれは考えるということだけど、どうもぼくは「なにかになる」というよりも「なにものでもなくありたい」ようだ。

 ぼくのことを称する名前、職業、代名詞、形容詞その他さまざまな表現を羅列したまえ。そのすべてにNonをかぶせたものがぼくというものである。そしてそれらの表出されしもろもろはoeil de boeuf(塔の円窓)、観測装置としてのあなたの姿でもある。高い塔の上の窓からは遠くの天空の果てまで見渡せるが木々に囲まれた森の中は見えない。平屋の大きく開いた扉ののぞき窓からは地面のことはよく観察できるが森の全体像はわからない。

 大切なのは事態を適切な距離においてみること、
 地上の「重さ」からできるだけ身を離すこと、
 ありとあらゆるものと距離をとるということ