寝る寝る寝る

  • ここ数日体調が悪くて、何にもやる気がなかったが、シンドイシンドイと言い訳しながら、だらだらんと寝てばかりいたら、だいぶ治ってきた。

われながらけっこうな身体だと思う。

鴎外は軍医のくせに「寝ていれば治る」と言って、他の医者の治療を拒否したとか。薬とかも嫌いだったらしい。胚芽米が脚気に効くと言った部下の意見を握りつぶしたこともあったが、いいこと(当たり前のことだけど)も言っているということか。
文学者としての功績は誰もが認めているところだけど、医学的にはどうだったんでしょうか、この人は。そういう研究もなされているのかな。

まあでも、なんだかんだ言っても、睡眠は大事だ。

けっこう根詰める性格なので、なるべく食う、寝るを優先させる生き方をしていこう。

こういうことを他の人から言われるのではなく、自分で唱えてると、ダメ人間の屁理屈っぽいな。

すげえいい作品だ。僕が思ういい漫画というものは、自分にとってなんらかのリアクションを取らせてしまうような、強い影響をもたらすもののことを言う。それで考えるならば、これ読んで僕は、『はだしのゲン』を読み直そうと思ったし、広島には行って知らねばならないと思わされたので、これはいい漫画だと判断した。

○思ったこと
ヒロシマに落とされた暴力が、歴史的過去でなく現代の僕達に地続きになっているということ。それでも人は生きていくし、時間と日常は感傷などお構いなしに流れていく。それでも惨禍はずっとついてくる。当人にも子孫にも。

「生き残ってしまったという後ろめたさ」についてまわる忘却と記憶というもの。無常というものは、なんだかひどくとんでもなく恐ろしいことであると同時に、日々変わって生きていけ糧になることもある、どえらくすごいことのように思えてくる。

・多分何も知らないものが8・15ショックをくらっても、悲しみとか怒りの感情よりも先にまず圧倒されて何も考えられないだろう。そういう人知を超えた圧倒的な暴力と同時に、ジワジワと気付かぬうちに身体も精神も侵食される静かな暴力とでも言うべきものもある。原爆とはこれら二種類の暴力の完全な統合であったし今でもありつづけているのだろう。くそう。

・教科書に書かれているような歴史的事実ではなく、そこに載ることなどない人びとのことこそが最も悲劇的である。がゆえにこそ、そこから平和や戦争に対しての声を出発させることもできるのではないか。

・知ろうとしない姿勢は、それがよいとか悪いとかいう価値的な基準で左右される二次的なものではなく、知っていないことが恐ろしい、とより原初的な感情が刺激された。

いつか広島に行こう。