愚痴

 本を読む速度よりも増殖する速度の方が早くなってどうしようかという感じだ。電車で面白い作品を読んでいても駅がやって来たら、ページを閉じて降り雑踏を掻き分け歩行するといった一連の行動規範に精神活動の移転を量り、homme de lireたる我が身とオサラバしなければならないのが段段苦痛になってきた。分断された時間と分裂した自己。資本主義と精神病。そんなタームが頭に来る(←この造語は"recur"でありかつ"lose my temper"ということだけど面白いだろうか。ぼくは面白いんだが。言葉に多重的な意味を重ねる用法以外に感情の濃淡を隠微しつつも表象せしめるいい方法はほかにないものかな)。

アンチ・オイディプス

アンチ・オイディプス

 おまけに目が疲れやすくなったかしてときどきものがよく見えなくなって困る。視覚はオーバードーズするとすぐ壊れるなぁ。目、眼、視、目玉、眼差し、視線、視点、視野狭窄、Scope、邪眼、邪視、ものもらい、めばちこナザールボンジュ、魔よけ、鳥よけ、人よけ、視姦、『眼球譚』、『見ることの逸楽』、心眼、第三の目、見猿、赤目、……。言葉を見ても(ほらまたここにも「見る」だ)目玉は球体のくせにその形状にふさわしい安定などまったく示さずにことごとく逸脱して/されていく。


 大前提「口は災いの元」
 小前提「目は口よりも雄弁」
 ∴結論「目は口よりも災いの元なり」


 なるほどまったく三段論法のいうとおり。人体はそもそも視覚に依存しすぎるんだ。内にも外にも「見なくていい」ものが多すぎる。


 この世に見果つるべきは既にすべて見ぬ。
 人体とはまこと厄介な衣だ、と感じる今日この頃。