新居は光ファイバーが引けないばかりかラジオの電波すらまともに入らない地域であることが判明いたしました。あっちゃー。
市内のくせにこのありさま。左京区の北半分はやっぱりど田舎じゃ。郊外であることをひしひしと感じるぜ。
サカキバラ事件の頃からニュータウンという場所の問題がよく議論されるようになり、その流れで都市周辺の郊外についても言及がなされるようになったけれど、その「郊外」についても地方性というものはあるのだろうか。その多くはそれぞれの地区の特殊性を日本全国共通の非ローカルな(≒非人間的な)場所として語ったり、そうでないとしてもそのニュートラル性を前提として論を組み立てていたけれど、実際のところどうなのだろう? 郊外にも「成功した郊外と失敗した郊外」といった言葉で言い表せそうな、市街-郊外に順ずる内部での階層化や中心-周辺の差異が認められはしないかな。
東京については有名な↓のものが出ている。
東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)
- 作者: 東浩紀,北田暁大
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2007/01/27
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関西についても似たような仕事をやってみたら面白かろうと思うがもう出てるかな。
参考(2007/5/1追加)
- 作者: 若林幹夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/03
- メディア: 新書
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