さあ、ろくでもないことを考えるぞ

 昨日

国民クイズ (上巻) (Ohta comics)

国民クイズ (上巻) (Ohta comics)

国民クイズ (下巻) (Ohta comics)

国民クイズ (下巻) (Ohta comics)

を見つけて買った。<>

 日本が地球上の土地を2割所有し、世界の中心となっている近未来。日本は議会制民主主義を捨て、個人の為の全体主義国民クイズ勝利者が己の欲求を統べて充たすことができる世界へと変貌していた。。。どんな欲求でもクイズに勝ちさえすればかなう。エッフェル塔が欲しいとか、100億円欲しいとか。勝利者の欲求は、全て日本国政府国民クイズ省が責任をもってかなえてくれる。
 司会者であるKK47331ことK井K一。彼は、国民クイズの決勝クイズで敗れ、B級不合格者となるが、服役刑務として抜擢されたクイズ司会者として絶大な支持率を誇るまでに至っており、国民クイズ体制を揺さぶっていく……


国民クイズへの参加方法]
 日本国民ならだれでも予選会に参加でき、自分の実現したい欲求に応じた得点をとれれば、本選クイズに参加できる。本選クイズは。毎日、4時間元国会議事堂(現国民クイズ省)にて行われ、500人もの参加者が出演し全世界に生放送される。本選クイズは選択式で、100問出題される。全問正解者のみが決勝クイズに進むことができる。ここで、己の望みに応じた点数をとれれば、勝利者になれるのだ。欲望の大きさによって、必要得点が違っている。
 た、だ、し。。。
 決勝クイズまで残っても、クイズ終了後に必要点数を獲得できないと、A級からD級の不合格者として、最高裁判所で裁かれ、反社会的欲望をもった罰として、その後は犯罪者として取り扱われる。たとえば、B級不合格者は、20年の強制労働。シベリア油田での強制労働もあるらしい。当然財産は全部没収、全ては競売され、国庫に入れられるのだ(A級不合格者の場合はそうなる)。本人や家族はどんなひどいめにあうのやら。

 この体制に反対する勢力も当然存在し、一部は国民クイズ本選で合格し、なんと日本から独立し、佐渡島共和国を作る。佐渡島共和国の秘密スパイは反体制グループ"本格派"を巻き込み、K井K一と協力し合い国民クイズ体制の破壊計画を進めていくのだが……

                                                                                                                      • -


 なかなかカルトな世界観の近未来日本ものの傑作。料理の鉄人バトル・ロワイアルに影響を与えたとか違うとか。絵も本筋も秀逸で、本筋と直接の関係はないクイズ番組の合間のCMまで小気味よい。文句なくおもしろいので、未読の人はまあ一度読んでみてほしい。


 ところでここからが本題だ。


 原作者杉元伶一のあとがきによると、この作品のベースはマキャベリ人間性論を反映しているという。
 が、ぼくが読んで思い描いたのは、マキャベリの人間像というより、あらゆる欲望を解放することを求めたフーリエ(変換のジョゼフじゃないよ。空想的社会主義のシャルルの方だ)の社会システムだった。*1

 フーリエは、ファランジュという協同組合を単位とするユートピアを構想した初期社会主義者として知られているけれど、その理論は高校倫理にセットで出てくる他の二人、サン・シモン、ロバート・オーウェンのそれよりもずっと刺激的で面白い。ファランジュの構想をまとめた『四箇運動及び一般的運命の理論』(1808)において、新たな協同組織の結束のためには肉体も欲望も喜怒哀楽も抑制しないということを強く訴えた。それがあまりにも積極的なので狂人扱いされたりもしたが、今あらためて読んでもなかなか振るっている。


 彼の理想を実現するためには、個々人においては己の欲望の真摯な認識とその直裁的な表明を、共同体においてはそれらの欲望を収集し構成員間で平等に引き合わせる機能とがそれぞれ必要とされる。そのためのこの考え方は究極的には「人が殺したい」という情念をもつものは「誰かに殺されたい」という情念をもつものとマッチングさせればよい、ということになる。

 
 こういった思考側面(妄想?)は人々に彼のプランを受け入れがたくさせたが、学生時のぼくが何よりも気にいったのはまさにそこ、個人の(時に暗く激しい)欲望をも(をこそ?)赤裸々に表明することを肯定的に捉えたところで、慣習だとかタブーだとか日本の湿っぽいプレモダンな悪癖に対する大一撃とできるのではないかと考えとても興奮した。何の思考回路を経ることなく発せられる「常識」とか「前からそうなっている」などの言説に当たるたびにその発言者のサイレントな自己保全を感じて、プリプリ怒っていた当時のぼく自身にはこの理論はとても斬新で、かなり熱狂した覚えがある。村落共同体に見られがちな陰湿さこそが差別、偏見、その他あらゆる日本的害悪の元凶だと思っていたぼくにはそのドライで熱い明示性がとても愛すべきもののように思えていたのだった。


四運動の理論〈上〉 (古典文庫)

四運動の理論〈上〉 (古典文庫)

四運動の理論〈下〉 (古典文庫)

四運動の理論〈下〉 (古典文庫)



 『国民クイズ』を読んでいると、どうもフーリエの夢見た世界の(もちろんいや〜なかたちでの)現代日本における具現化ってこんな感じかな? という気になってくる。みながむき出しの喜怒哀楽のぶつけ合いで、それはそれはおぞましい世界なのだけど、一方ここでは通常さらけ出すのが醜いとされている人々の欲望は国権の最高機関である国民クイズ体制によって保障されて、つまり肯定されており、建前上としてはそこに「後ろめたさはない」。

「ほっときゃ資本主義だって法律の力で個人の欲望を抑えつけられなくなるんだ
一昔前の日本がいい見本さ
法律を作る政治家こそが性悪説の権化強欲ザウルスだった」
「そんな世の中で国民の求める平等とは
やりたいことをやりたい様にやれる特権の分配しかない!!」
「それが国民クイズの真骨頂ってわけね」
「そう! それが国民クイズの画期的な所だ
恵まれない子のために養護施設を作りたいという奴……
双子の処女と3Pしてみたいという変態……
どっちの欲望も同列に扱っている!」

                    『国民クイズ』上巻, p.342,343より

ある意味カラッと乾いていて、「理論上は」気持ちがいいだろう。実際そうなっても案外今とさほど変わらないかも。
 とはいえさすがにあんな社会で暮らすなんてのはまっぴらごめんこうむる。が。住むのは嫌だけど旅行で行く分にはとても面白そう、と思わせるほどには魅力的なのも偽らざる実感だ。



 ユートピアディストピア

 さりとて地獄に住みたいという御仁もおわせられまする

*1:このリンキングはもしかすると逆で、フーリエを知ったときに「これは『国民クイズ』じゃないか!?」とイメージしたのだったかもしれない。