山下清の絵とことば

山下清作品集

山下清作品集

 かつて山下清という画家がいた。今から五〇年以上も前の日本を放浪して、歩いてのけた各地の風景を貼り絵に残した。「日本のゴッホ」と呼ばれる卓抜な描写の画業と茫洋たる言動とで知られる。「裸の大将」というドラマや映画にもなり、リュックを背負ったランニングシャツ姿で坊主頭の小太り男性はお茶の間の人気者だった。

 
 まずは論よりも絵。『山下清作品集』(河出書房新社)の表紙にあるように、花火の作品が一番有名。夏の夜空に打ち上がる大輪の花火。下に目をやると川面に反射した光が、静かに揺れている。川原には、何万ものひしめき合う群衆。その歓声までもが聞こえてきそうな精緻な風景は、数ミリ単位にちぎられた色紙を何枚も貼っていくことで生み出されている。画面奥に行く程色紙のピースはどんどん小さくなっていく手の凝りよう。指先が生み出す驚異の世界。これはどこからきたのか。
 関東大震災直後の浅草に生まれ、幼少時の病で軽い知的障害と言語障害のあった清少年は養護施設で、貼り絵と出会う。指先の訓練と情操教育の一貫として取り入れられたものだが、才能を開花。はじめは単純なものだったが、作品は次第に緻密さを増していき、色紙の裏を使って濃淡を表すなど様々な工夫も凝らすようになる。知的障害児の独創性は本職の画家たちにも認められる。
 ところがそのさなか、一八歳の清は突然姿を消してしまう。《僕は八幡学園に六年半位居るので学園があきてほかの仕事をやろうと思ってここから逃げて行こうと思って居るのでへたに逃げると学園の先生につかまってしまうので上手に逃げようと思って居ました》下駄ばきに風呂敷一つで出て行った彼は、途中たびたび学園や母親の元に戻りながら、鹿児島で保護される昭和二十九年までおよそ十四年間に及び、日本中をただ旅して回った。あちこちで食べ物や小銭などを恵んでもらいながら、寝泊りするのはたいてい駅舎。そんな暮らしが数ヶ月、時に三年近くに及んだ。
 歩いた軌跡は『山下清の放浪地図』(平凡社)に詳しく、ルートマップとともに作品を楽しめる。すごいのは、旅先では絵は描かなかったこと。ふらりと学園に戻ってから、驚異的ともいえる映像記憶力をもとに、漂白の日々をアルバムのように作品に留めていったのだ。

 ことば
 彼はまた笑いを誘い、かつ考えさせられる文章を残した。放浪時代のことは、池内紀編『山下清の放浪日記』(五月書房)、放浪後に日本と欧州をめぐった紀行文は『日本ぶらりぶらり』『ヨーロッパぶらりぶらり』(ちくま文庫)にまとめられている。どちらも旅の記録が克明に記されているが、まじめで平易でかつ珍無類の記述となっている。《一番見たいのはヨーロッパのルンペンです》なんて彼以外誰が言えようか。
 ドラマのイメージからピュアな天使のように思われることも多いが、案外ずるいというか賢いところもあった。放浪時代、喜捨を乞いに家を回るとき、ご飯茶碗を二つ持っていたらしい。ひとつだとご飯しかもらえないけど、ふたつあればおかずももらえるから! そもそも貼り絵も日記も先生から言われてやって、授業が終わると途中でもさっさと止めていたようだ。常識とか倫理とかに頓着しなかった半端者の手から、純粋で美しい絵が生み出される。絵と文章でそういうアートの神秘が感じられ感嘆させられる。

太陽の地図帖 山下清の放浪地図 (別冊太陽 太陽の地図帖 13)

太陽の地図帖 山下清の放浪地図 (別冊太陽 太陽の地図帖 13)

山下清の放浪日記

山下清の放浪日記

日本ぶらりぶらり (ちくま文庫)

日本ぶらりぶらり (ちくま文庫)

ヨーロッパぶらりぶらり (ちくま文庫)

ヨーロッパぶらりぶらり (ちくま文庫)